被爆者と被爆組織
Atomic bomb survivors
被爆者による全国組織の形成
原爆被爆から10年近く、病苦と貧困と差別に耐えてひっそりと生きていた原爆被爆者自身が、運動に起ち上がったのは、1954年のビキニ水爆実験による第五福竜丸の被災をきっかけとした原水爆禁止運動の燃え上がりに勇気づけられたからでした。
1956(昭和31)年8月10日、長崎で開かれた第2回原水爆禁止世界大会の中で、被爆者の全国組織=日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が結成されました。
その後、この日本被団協を基盤に全国都道府県単位に原水爆被害者の組織が形成され、山口県では、1957年11月に「山口県原爆被害者団体協議会=県被団協」が誕生しました。
「山口県被団協」と「ゆだ苑」
山口県においては、原水爆禁止運動、被爆者援護運動を推進する市民組織の「山口県原水爆禁止協議会」が1955年に結成されます。
この組織は、原水爆禁止運動の面では1963年に分裂してしまいますが、被爆者援護運動については分裂をくい止めました。
山口県原水爆禁止協議会分裂後、山口県被団協や被爆者、平和運動・被爆者援護運動に取り組んできた人々、また、宗教家や学識経験者などの懸命な取組みで、1968年に建設されたのが「山口県原爆被爆者福祉会館ゆだ苑」です。
この会館設立にあわせ、被爆者自身が組織した「山口県被団協」と被爆者援護運動・平和運動に取り組む県民自身が主体の組織の2つの機能を持つゆだ苑事務局が設置されました。これが、現在の「一般財団法人 山口県原爆被爆者支援センターゆだ苑」の母体です。
以降、「山口県被団協」と「ゆだ苑」の2つの組織は、車の両輪のように協力・協同しつつもお互いの組織の自立性を尊重しながら、同じ建物内に事務所を置いて、被爆者援護運動と平和運動に取り組んでいます。
県内の被爆者
県内の被爆者
市町名 | 所持者 | 市町名 | 所持者 |
---|---|---|---|
下 関 | 226 | 柳 井 | 77 |
宇 部 | 118 | 美 祢 | 17 |
山 口 | 137 | 周 南 | 131 |
萩 | 26 | 周防大島 | 38 |
防 府 | 108 | 和 木 | 31 |
下 松 | 51 | 上 関 | 1 |
岩 国 | 418 | 田布施 | 15 |
山陽小野田 | 33 | 平 生 | 14 |
光 | 52 | 阿 武 | 1 |
長 門 | 12 | 国 外 | 9 |
合 計 | 1,515 |
(2024年3月31日現在・山口県健康福祉部医務保険課調べ)
山口県年度別被爆者健康手帳保持者数
各年3月末 | 所持者数 | 各年3月末 | 所持者数 | 各年3月末 | 所持者数 |
---|---|---|---|---|---|
昭和37年 | 2,957 | 平成元年 | 6,990 | 令和元年 | 2,415 |
昭和38年 | 3,378 | 平成2年 | 6,954 | 令和2年 | 2,205 |
昭和39年 | 3,695 | 平成3年 | 6,853 | 令和3年 | 2,022 |
昭和40年 | 4,272 | 平成4年 | 6,821 | 令和4年 | 1,850 |
昭和41年 | 4,621 | 平成5年 | 6,766 | 令和5年 | 1,678 |
昭和42年 | 4,823 | 平成6年 | 6,598 | 令和6年 | 1,515 |
昭和43年 | 5,720 | 平成7年 | 6,504 | ||
昭和44年 | 6,076 | 平成8年 | 6,387 | ||
昭和45年 | 6,455 | 平成9年 | 6,205 | ||
昭和46年 | 6,662 | 平成10年 | 6,061 | ||
昭和47年 | 6,882 | 平成11年 | 5,971 | ||
昭和48年 | 7,088 | 平成12年 | 6,061 | ||
昭和49年 | 7,163 | 平成13年 | 5,722 | ||
昭和50年 | 7,366 | 平成14年 | 5,578 | ||
昭和51年 | 7,014 | 平成15年 | 5,435 | ||
昭和52年 | 6,895 | 平成16年 | 5,266 | ||
昭和53年 | 7,024 | 平成17年 | 5,133 | ||
昭和54年 | 6,781 | 平成18年 | 4,960 | ||
昭和55年 | 6,859 | 平成19年 | 4,776 | ||
昭和56年 | 7,078 | 平成20年 | 4,604 | ||
昭和57年 | 7,128 | 平成21年 | 4,408 | ||
昭和58年 | 7,171 | 平成22年 | 4,245 | ||
昭和59年 | 7,178 | 平成23年 | 4,070 | ||
昭和60年 | 7,183 | 平成24年 | 3,878 | ||
昭和61年 | 7,135 | 平成25年 | 3,641 | ||
昭和62年 | 7,116 | 平成26年 | 3,434 | ||
昭和63年 | 7,060 | 平成27年 | 3,226 | ||
平成28年 | 3,036 | ||||
平成29年 | 2,809 | ||||
平成30年 | 2,602 | ||||
戦後すぐの山口県に被爆者が何人いらっしゃったのかは県行政でも把握できていませんが、被爆者健康手帳保持者数が一番多かったのは、昭和50年(1975年)度末の7,366人です。
現在、山口県内の『被爆者健康手帳の保持者数』は、上表のとおり1,515人(日本全国では、約12万人)で、全国で8番目に多いのが実態です。
また、山口県には、人口比では長崎県・広島県についで3番目に多くの被爆者がおられます。